2009年06月15日

辻村深月 『スロウハイツの神様 上下』

その日、チヨダ・コーキの小説のせいで、人が死んだ。
派手な事件を起こして、死んでしまわなければ、声を届けてはもらえませんか。


スロウハイツの神様(上) (講談社ノベルス)
スロウハイツの神様(下) (講談社ノベルス)


新進気鋭の脚本家・赤羽環は、譲りうけた一軒家を友人たちに格安で貸し、共同生活を始める。
ある事件のために筆を折り、その後再起を果たした人気作家チヨダ・コーキに、彼のマネージメントを一手に引き受ける編集者黒木、漫画家を目指す狩野、映画監督になりたい正義、正義の彼女で画家の卵である森永すみれ、環の親友である円屋
まるでトキワ荘のようだと笑いをかわして始まるスロウハイツでの日々の辿りつく先は――?


若いクリエーターたち(またはその卵)が共に暮らすスロウハイツでの日々を、それぞれの視点を借りながら丁寧に追っていくお話。
『凍りのくじら』でも思ったけれど、この著者は本が大好きなんだろうなあ。本好きな人ならきっと共感できる、本が人に生きる糧を与えるという感覚をとても上手に描いています。
クリエーターを目指すだけあって(いやそれともクリエーターに限らず人は誰でも)、それぞれがそれぞれに抱える事情や想いがあって、それは時にぶつかり、焦燥に駆られ、衝突し、軋轢が生まれ、やさしい修復をくりかえし、「ゆっくりと、丁寧に、時間をかけて」送られる日々は、ここで暮らした人たちへの文字通りの贈り物だったのかもしれません。

登場人物たちの年齢設定によるのか、お話によるのか、デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』『太陽の座る場所』ほどには自意識過剰ではなく、淡々と、けれど丁寧に掘り下げられていく人物描写も読んでいて心地よかったです。
それに環が幸せいっぱいとは到底言い難い人生の中で出会ってきた人たち、図書館司書のお姉さんや、駅員のおじいさんらの存在もよかったです。描写も最小限で、けれどこんな風に小さなさり気ない好意とも言えないくらいの好意が降り積もって、人を生かすんだと思わせてくれる。それを如実に感じさせてくれたのが最終章の「二十代の千代田光輝は死にたかった」でした。
作品の中には出てこなかった、そんな小さな小さな本人には見えないところで動かされる気持ちが、きっとそれぞれ他の人生の中にも存在しただろうし、私たちの人生の影にもあっただろうと思える。それはちょっとばかり切なくも心温まり、泣けることです。
タグ:辻村深月
posted by 高 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 邦人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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